長嶋茂雄選手と互いに瞳を交わしあった20歳の頃 蓮實重彦さん寄稿

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 ふと目にした6月4日付のさる日刊紙の一面には「長嶋茂雄さん死去」の8文字が横組みの白抜きで印刷され、その脇に「ミスタープロ野球」という大きな活字が縦組みで読みとれる。嗚呼(ああ)、何という事実の歪曲(わいきょく)! 何という死者への冒瀆(ぼうとく)! 亡き長嶋氏と同じ昭和11年生まれで当年89歳になるこのわたくしが断言しておくが、読売巨人軍に入団してプロとして歩み始める以前の長嶋氏は、すでに東京六大学リーグの選手時代から、神宮球場のスーパースターだった。どうして、マスメディアはその厳粛な事実を無視できるのか。「ミスタープロ野球」の一行は、電子メディアにも無責任に横溢(おういつ)することになる。

 小学校時代から野球にいそしんでいたわたくしは、中学高校時代には「野球など馬鹿にもできる」と高を括(くく)って陸上競技に転向していたが、東京大学に入ると、本屋敷錦吾遊撃手の俊敏さに強く惹(ひ)かれ、対立教戦もしばしば神宮球場で観戦した。わざわざ三塁側の最前列に陣取り、すでに佐倉一高出身だと知っていた長嶋選手が打席に立つと、「この千葉の山猿!」と大声で罵倒したものだ。その何度目かの大声に振り向いた長嶋選手と、ふと視線が交わった(ように思う)。まだ20歳になったばかりのわたくしたちは、衆人環視のもと、たがいに瞳を交わしあうほどの特殊な仲だったのである。

 6月4日の夜、読売巨人軍は…

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    松谷創一郎
    (ジャーナリスト)
    2025年6月9日14時0分 投稿
    【解説】

    蓮實重彦の名義で長嶋茂雄氏への追悼の言葉が綴られた事実に接し、ある種の言い難い感慨に囚われずにはいられなかった。 むしろこう言うべきか。この文章が草野——いや、ここで無粋な詮索に耽ることは控えておこう。そこに刻印されていたのは、紛れもなく

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    河野有理
    (法政大学法学部教授)
    2025年6月9日14時0分 投稿
    【視点】

    野球の中心はかつて神宮球場で開催される六大学リーグにあり、興行に類する職業野球などではなかったことを思い出させてくれる秀逸な一文である。蓮實氏が言う通り、長嶋茂雄がすでに六大学のスーパースターだったことは紛れもない事実だろう。ただ、長嶋茂雄

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